サイエンス・サイトーク 「動物のこと、どこまでわかりましたか?」

サイエンス・サイトーク
http://www.tbs.co.jp/radio/xitalk/

「Science Xitalk(サイエンス サイトーク)」は「人間を科学する」トーク番組。
21世紀に入り、人は宇宙を、地球を、生命をどこまで知ることができたのか。
そして私たち人間自身をどこまでわかってきたのか。

「Xitalk」はインターネットの「Site」と「talk」を合わせた造語です。
「Xi」にすることで、「X」の未知な雰囲気や「Excite」するなどの意味も持ちます。

毎回科学の最前線に立つ研究者をスタジオに招き、ジャーナリストの日垣隆が鋭く迫ります。


最近聞き出したポッドキャスト。やっぱTBSラジオはクオリティ高い。
表題の番組は2005年11月20日放送のバックナンバーで、総合地球環境学研究所所長の日高さんという方がゲストです。
蝶やらゴリラやらの話をされていますが終盤での科学の定義の話がおもしろかったのでメモ。
氏曰く、

「科学とは主観を客観に仕立て上げる手続きである。」

物事を考えるとき、最初にまずアイデア、仮説、思い込みありき。それからデータを収集していって肉付けをしていく。ときには最初のアイデアが全然だめなこともあるし、方向性が修正されることもある。こういう考え方はビジネスにしても日常の生活にしても変数の多すぎる今の世の中では大事なことだと思います。ビジネス本なんかでよく仮説思考というのがありますが、ああいう言葉は社会科学としての経営学とかから来ているはずで、元をさらにたどれば源流としての自然科学にいきつくんだなぁと思いました。一つリンクが繋がったような気がします。


追記:
さらにいうなら個人的には「勘」の感覚と科学的な考え方の関係性に興味があります。
「勘」は自己の経験や知識に裏づけされた、物事に対する判断感覚であると思います。しかしながらそうした感覚は基本的に詳細な客観データやロジックの積み重ねという作業を経て導きだされたものではないんではないでしょうか。人間の脳みそが知らず知らずのうちに蓄積された過去の経験や知識を抽出して何らかの方向性を導きだしたものが、そういう曖昧ではあるけれどなんとなくわかるという感覚を生み出すんだと思います。いわば客観的な外部データからではなく内部の蓄積データを処理した結果、勘という判断が生まれると。

でもって良質な勘は良質な主観や仮説、アイデアに繋がると思います。科学的な考え方の元となる部分の質を決定付けるのは、良質な勘を生み出す日ごろの行い(内部データの弛まざる更新や整理、改修)にかかってくるというのが今日考えたことでございます。でわ。