私の履歴書 人生越境ゲーム

人生越境ゲーム―私の履歴書

人生越境ゲーム―私の履歴書

保全学連=ブント、スタンフォード霞ヶ関、中国、仮想空間、国際経済学界で七つの知的ベンチャーを試み、社会というゲームのルールに挑戦し続けてきた最先端の経済学者が明かす知の冒険録。

おなじみ日経新聞連載の「私の履歴書
経済学者、青木昌彦氏のものを読んで見ました。


スタンフォード大学
http://www.stanford.edu/~aoki/j/
Wikipedia 青木昌彦
http://ja.wikipedia.org/wiki/青木昌彦


比較制度分析やゲーム理論で著名なかたですが、本の半分くらいは大学時代の学生運動の話。私の年代だと学生運動ときくと、はるか昔のことで興味を持つ人もあんまりいないでしょう。若者が問題意識を持って社会にもの申すのはいいことだと思いますが、政治の時代というかなんというか、隔世の感ですなぁ。

のこり半分、著者の学者としての半生はすごい輝いててまぶしい。レオニード・ハーウィッツ、ケネス・アローノーベル賞級の人たちと一緒に学べたというのはうらやましい限りだし、宇沢弘文氏のワークショップで知り合ったスティグリッツにテンプラを作ってご馳走してたり、もーなにがなんだか。

学問的な話としては著者が研究している制度比較に絡めてのゲーム理論がおもしろそう。
大雑把に言うと、人間は特定のルールのもとで特定のスコアを得るために様々な行動(ゲーム)をしているってことですかねー。
歴史学者ホイジンガが著書「ホモ・ルーデンス」で述べたところでは、そのスコアが何かっていうとPrice(経済的価値)であったりPraise(賞賛)であったり、Prize(栄誉)であったりするわけです。

そーいうゲームが複合的に重なり合って世の中成り立ってんだ、という視点に立つと、様々なゲームが千差万別のスコア基準に基づいて行われていると捉えられます。ビジネスの世界や恋愛、環境問題などなど色んなことにあてはめて考えれそうです。
ミクロに考えれば、自分がどーいうルールの下でゲームをしたいのかってのが重要で、学びの場や会社、パートナーを選ぶ際には自分のゲームのルールをきちんと認識しないといけないのかなと。そういえば就職活動では自己分析なんてのがありましたね。私は適当に流しましたけど、ゲーム理論の考え方でいけば自分のルールの棚卸しという意味で割と利にかなっているのかもしれない。
マクロなとこでは著者が専門としている制度設計、政策にこういう視点がありそうです。京都議定書二酸化炭素排出権取引とかもこういう考え方を取り入れてるそうで、環境問題や高齢化社会にもゲーム理論の視点はなんか活用できるんじゃないかと。

個人的なところでは、私のシノギであるコンサルティングは時に新たなゲームを試みる、また試みざるを得ない企業に対して、新たなルールの提案、整備、運用をやってくこともあるってことでしょうか。既存のルールに慣れた周囲の反発を受けつつ、ごちゃごちゃした中からゲームの方向性を打ち出しつつ、それに則ったルールを整備していく、みたいな。

毎日が煮詰まりぎみで、自分のルールでゲームをやれてないなって人は読むといいかもしれません。一歩引いた目線で自分を見れるかもねー。
今、横でアメリカの大統領就任演説が行われています。金融という一つのゲームが(一時的であるにせよ)クローズし、新しいゲームのために新たなルールが必要とされるこれからの時代には何が起こるんでしょうか。あっちのルールがなくなっちゃって、こっちのルールが常識となるようなすごい変化が起こるんではないでしょうか。不安ながらも非常に楽しみです。