オープン系と閉鎖系

寝る前に考えたことをメモ代わりに。


・情報、金融、人の流れなどなど色々なものが相互に影響して世の中がより流動的になっていく。

・以前は磐石だった閉鎖系コミュニティー(官僚組織、大企業、地域共同体、大学とか流動性の低い社会で機能してきたコミュニティー)はそういう流れの中で制度疲労が起こったり、そのコミュニティーの一員でいる(いた)ことの価値が相対的に低くなっていく。身近なところだと夫婦とか家族とかもこの概念に含まれるようになるかも(結婚しない人が増えたり、子供が少なくなったり)。

・社会的に既存の閉鎖系コミュニティーが担ってきた部分は無くなったり、自己責任になったり、新しいコミュニティーNPOとかかなぁ)が埋めたりしていく。その辺のライン引きが結構ごちゃごちゃになる(医療、介護、教育とか)。

・閉鎖系コミュニティーはゆっくりとその熱量が減っていく感じ。テレビ局、新聞社、大学、官僚組織、地方自治体などなど。

・流動化している分野での閉鎖系からオープン系へのシフト。調子がいい企業はオープン系へ移行する中でユーザーもサービスも間口を広くとってハブ的な役割をしている?(人-google-情報、人-ipod,itunes-音楽、人-リクルート-仕事、人-wii-ゲームとか)


中々筋立てて書きにくいけど、イメージの方向性としてはそんなに外れていないんじゃないかと勝手に思っています。こういう考えを前提に今後の自分の立ち位置を考えようと思います。


参考
英語圏の「独走」を許す「パブリックな意識」の差 シリコンバレーからの手紙
自己選択や天職という幻想 雑種路線でいこう
輝く未来の必要性について―『時をかける少女』を再度観て。 荻上式BLOG